今私たちにできること

2011年4月8日(金曜日)深夜

今日、僕は、東京都内を電車や歩きで移動しながら、妙な違和感を感じずにはいられなかった。

特にその気持ちは0時近く、帰りの電車の中でピークに達した。酔っぱらって床に座り込んでいる青年。楽しそうに大声で卒業旅行の計画を立てている大学生のグループ。今にも倒れ込みそうになりながらつり革につかまっているビジネスマン。東京の金曜日の夜ならよく見かける光景だ。

しかし、僕は、そこに何か圧倒的な違和感を感じずにはいられなかった。それは何だろう?

2011年3月11日の東北関東大震災以降、しばらくの間、日本全体が異様な雰囲気に包まれた。大地震と大津波という自然災害の猛威にさらされたのと同時に原子力発電所の事故が連なったのだから無理もない。その間に多くの命が失われた。そして、まだ行方不明の人々が沢山いる。

この一連の災害は、自分も含めた多くの人々、もしかしたら日本に住んでいる人全員、果ては海外に住む人々にまで、多大な影響を与えた。

そして、みんなとても考えさせられたし、まだ考えていると思う。一時は、自粛モードという形で、世の中全体が喪に服していたような感じだった。

でも、今日僕が感じたのは、( その流れを作ったのが、マスコミなのか世論なのか、それとも国なのか企業なのか、はたまた資本主義という目に見えない怪物なのか分らないけれど、)どうも「経済」活動の復興という「理由」なのか「理屈」に伴って「日常」というものに「復帰していこう」という空気感だった。

勿論、いつまでもいわゆる「自粛モード」でいる訳にもいかないし、経済活動をおろそかには出来ない。東北から北関東にかけての大被災地を復活させれるためにも、働ける人達が働かないといけない。しかし、それは果たして前と同じような「日常」に戻ることなのだろうか?また、前と同じ普通の生活モードに戻ることなのだろうか?

今日の電車や街の人々の会話や態度は、大震災以前のモードに無理に戻しているように思えた。

何かを忘れようとしているかのような。満開の桜とともに、新しい季節として区切りをつけようとしているような。

でも、何もまだ終わってはいない。また、終わらせてはならない。

放射能は海に流され続けているし、空気中にも拡散中だ。周囲の住民はそのせいでまだ苦しんでいる。

関東だって、もしくはもっと広い地域での影響だってまだ分らない。

そんな中、本日、特にもの凄く違和感を感じる時間があった。

ある二人のアーティストのトークショウをたまたま、あるギャラリー聞いていたのだけれど、会話の成り行きでそう言ったのかどうか知らないが、ニュアンスとして「東北地方の人々は大地震と大津波の猛威で苦しんだ」とか「あの自然の力に何ものもかなわない」そしてあげくの果ては「私たち日本人は昔から地震や津波や火山の噴火にさらされて生きてきて、ある意味その自然の前で悟りとあきらめに似た境地で生きてきた」みたいなことを言っていた。もの凄く違和感を感じた。

原発は?

そして、こうも続けた。「そろそろ暖かくなってきたし、みんなも日常を取り戻しつつあるよね」

えっ?

ちょっと耳を疑いたくなるような言葉の連続だった。日本の現代アートの世界ではかなり著名な二人だし、作品だって良いものを作る二人なのでかなり驚いた。ちょっとショックに近い感じ。そこまで想像力が鈍いのかと。創造力はあるけれど。

今回の災害でここまで多くの人が行方不明となり死に到ったのには、間違いなく原発からの放射能の脅威が原因だった。救援救助も物資の流通も人々の避難も全部後手後手に回ったのは、目に見えない放射能が多くの人々の行動を躊躇させたのが大きかった。

今、世界中が日本に注目しているとすれば、それは残念ながら地震と津波の被害ではないと思う。それは原発のこと、放射能のこと。勿論、東北地方の甚大な物理的被害も映像で多く流れているし、心に掛けてくれているだろう。しかし、圧倒的な関心事は、やはり原発事故のことなのだ。そして、最初はその被害の拡大と汚染状況に同情心などを持って見守ってくれていたと思うが、時が経つに連れてその論調は、日本そして日本人が放射能汚染拡大を続けていることへの憤りや不満や不安に変わってきている。人間というものは、被害が自分に近くなればなるほど、良くも悪くも真剣になる。放射能というものは、人間の乏しい想像力を驚くほど活性化する作用を持っているらしい。世界中が自分事のように捉えざる得ない状況になってくるのだろうか?

しかし、何よりも絶対に忘れてはいけないことがある。この災害のど真ん中にいる人々のことだ。
彼らは様々な理由で今もなお苦しんでいる。その彼らのために、今そして今後、私たちに何が出来るのか?
今回のことから私たちは何を学び、前に進むべきなのか?

被災地に東京から何度か通い、その都度のその地域で手伝いをしながら、被災者のニーズを聞き込みしている知人が言った。「僕が今出来る事は、被災地に出来るだけ行って、彼らの話を聞き、寄り添い、一緒に歩んで行くことかな。そして、彼らがこの災害を通じて感じたことや体験したことを世の中に出来るだけ発信したい。そこから、多くのことが変わるはずだ。今、被災現場にいる人の話を聞いて、原発に賛成する人はいないだろう。そこから、新しい未来が生まれると思うよ。」彼は、教職にもある身だが、報告会などを開きさまざまな形で現地と東京を繋ぎ始めている。

また先日、全国漁業協同組合連合会は、高濃度放射能汚染水を漁業関係者に何の相談もなく海に大量に放水した東電と政府に対し、怒りの抗議文を提出した。彼らは、日本全国の原発の運転中止を訴えていく方針だと話した。海と共に生きてきた彼らにとってそれは当然のことだし、その彼らに美味しい鮮魚を絶えず食べさせてもらっている僕たちも、当然そこに十分な想像力を働かせて気持ちを共にする必要があるだろう。

でも一番僕の心に突き刺さったのは、毎週美味しい露地栽培の野菜を届けてくれる千葉の有機農家さんの言葉だった。災害後10日たったぐらいの頃、いつものように野菜が届いたのだが、その時添えられたコメントに思わずこみ上げた。
「ほうれん草をはじめ根菜類も全て井戸水できれいに良く洗ってあります。安心して食べてください。」
たったそれだけの言葉だが、彼らの畑や生活を知っている僕には何よりも響いた。
この農家さんたちは30年以上もこの地で有機農業を地道に続けてきた。そしてその甲斐あって、近年素晴らしい野菜が出来るようになった。長年掛けて安心出来る宝物のような土を作り、安全な野菜を作るという作業。それは、土地や食べ物への愛、そしてそれを食する人々への愛がなせるもので、その愛の結晶である野菜を僕らは食べさせてもらっていた・・・

それが、原発というものから出た放射性物質が降りかかってしまったら、一瞬で全滅するのだ。

農家さんにとって、それに対する恐怖と不安と怒りいったら・・・

そんな人達の野菜さえも、風評という言葉では片付けられないレベルまで汚染されかかっているのだ。だからこそ、消費者の僕らの気持ちを気遣って、まだ3月の寒空の下、彼らは凍てつく井戸水で野菜を何度もきれいに洗ってくれたのだ・・・

ちなみに、放射性物質が少しでも飛んできた時点で、それは風評とは言わない。「実害」という。今回の「風評被害」という言葉は、先に政府が流したのかマスコミが流したのか知らないけれど、トンでもない責任転嫁だ。自分たちが実際に犯してしまった罪を全く謝りもしないで、まるで「噂」が先行でもしているように見せかけているる。どこまでもズルいし無責任。

また話を戻すけれど、農家の人々にとって土地は、都会でお金を稼いで家を買ったり、ものを買って生活しているのとは訳が違う。土地に対しての、水に対しての、空気に対しての愛が根本的に違うのだ。そして結果、その土や水や空気が都会に住んでいる僕らを生かしてくれている。その僕らの生活を支えてくれている「愛」の根源が今回全面的に脅かされ危険にさらされた。分ってもらえるだろうか?

だからこれは、ただ「被災者の人々のためにその土地の野菜や特産物を買おう」とか「経済活性化の為にもっと消費しなくっちゃ」とかいうメンタルレベルで解決出来る事ではないと思う。特に本当に放射性物質で汚染されてしまった土地の人々に関しては、もうどうやって償っていいのか分らないぐらい深刻なことだと思う。

だから、今私たちに出来ること。特に都会にいる私達に出来ること。

現実から逃げないこと。
一体何が起こったのか追求すること。
被災地や関連被害にあった人々の怒りや悲しみや憤りを受けとめ、受け入れること。
新しい安全で安心なエネルギー改革を少しでも前に進めること。
早く被災地や被害にあった土地や水が回復するように、出来るだけのことをすること。
今回のことがやはり、東京に住む僕らにとってはある意味自業自得だということを受け入れること。
その上で、これから未来に対して何が出来るのか各自が真剣に自ら問うこと。

それが、今回犠牲になった多くの人々に対して出来る最善のことの一つのような気がする。

ご精読ありがとうございました。

三上雄己