東北の人と森を訪ねて

僕らabovoは、11月中旬、東北三県を駆け足で回り、木工職人など、森と共に暮らす人々を訪ね、撮影取材を行ってきました。

2009年にリリースされた、僕らのドキュメンタリー『木の来た道』を見てくれた方々はご存知と思いますが、もともと極東ロシアのタイガに向かったのも、現在の地球上に存在する森林に興味を持っていたからでした。

僕らの関わっているプロジェクトの一つ、Fairwood Partnersは、国産の木材を使用・利用することを提唱してきています。詳しくは、上記の『木の来た道』を見ていただきたいのですが、手短かに説明すると以下のような感じです。

日本は戦後、焼け野原からの復興などで、建築ブームに湧きました。とにかく、日本中ボロボロになってしまったのですから、家や施設や全てを一から建てなければなりませんでした。そのため、復興初期は日本中の山から木材が集められました。しかし、それでは到底足りません。植林をしながら、使っていきますが、需要が明らかに供給を上回る状態に陥りました。そして、海外から木材がどんどん輸入されることになります。そして、日本が様々な要因(もちろん、朝鮮戦争とベトナム戦争で、稼がせてもらいました)で戦後復興を遂げる中、日本は世界でも有数の木材輸入国になっていくのです。東南アジアやブラジルの原生林は、ただ伐るだけで、素晴らしい木を提供してくれました。しかも、人件費が日本よりも圧倒的に安いので、木もそれだけ安くなります。その状況を逆手に取ったビジネスです。ところが、ある時から、その南方からくる木材が問題になっていきます。さすがに、これではまずいという判断を国際社会がしていくのです。しかし、一度安くて良い、外国材を知ってしまった日本企業はなかなかやめられません。そこで、バッシングされやすい、南洋材(主に南の国からやってくる)から、北洋材(寒い地域の木)に輸入をシフトしていったのです。
その間、日本では、先に植林した杉やヒノキがどんどん育ち、90年代中盤には、使える木となっていきました。しかし、輸入される木材で出来上がった流通システムや仕事の仕方は、なかなか簡単に変えることは出来ません。国内には手を入れるべき森が沢山放置されています。そして未だに、日本の木材自給率は使用する量に対して、3割に満たない状態なのです。

今、環境問題を考えた時に、様々な切り口で問題は吹き出していますが、森林というものを見つめ直し、そこにある問題を提議し、みんなで捉えて解決していくことが、一つの道かもしれないと思っています。
そして今回は、東北地方の三県の木工職人や森と共に暮らしている人々を紹介するプロジェクトを始めました。短い映像ですが、それぞれの想いを伝えたいと思って制作しました。

ご覧いただければ幸いです。

三上雄己

『東北の木と暮らそう』Fairwood ‘Tohoku movie’ by Fairwood Partners from abovo on Vimeo.

今、大切なこと

文明は我々が認知しているだけでも、何千年かに渡って盛衰を繰り返してきました。その繁栄と衰退の歴史の大きな鍵を握っていたものの一つが森林=木でした。木は人間にとって、最古の燃料です。ご存知のように、人間は「火」を得たからこそ、他の動物との生存競争にも勝ち、ここまでの種の繁栄をつかんだと言われています。ですから、相当の昔から人間は木を燃やしてきたのです。

初めは、おそらく枯れ木や乾いた倒木など、手に入れやすく燃やしやすいものを使っていたことでしょう。しかし間もなく、かつて自分たちのことを雨や風や嵐から守ってくれ、狩りや魚捕りや採集などあらゆる食料を与えてくれた聖なる森へ、伐採のために入っていくことになるのです。最初は、畏敬の念を強く持って森に入っていったことでしょう。そして、木を伐るにも、いつも祈りを捧げていたことでしょう。ゆっくり伐り、ゆっくり使い、森に感謝をしていたことでしょう。

しかし、文明が進むごとに、伐採のペースは上がっていき、ついには、自分たちの回りは全て伐り尽くしてしまいます。そうして初めて、自分たちがどれだけ森に助けられ、生かされていたかを悟るのです。しかし、時すでに遅し。目の前に広がる平原には、動物も木の実もありません。そばを流れていた川はとっくに枯渇していました。。。

その後の物語は、どんなに想像力に欠けるものでも、ある程度はわかるのではないでしょうか?

敢えて少し付け加えるなら、森林を伐り尽くして崩壊した文明の一つにイースター島があると言われています。島というものは、古代においては一つの閉じた生態系(エコシステム)です。他に行き場も無く、全ては自分でまかなうという状態です。その状況で森林を使い切ってしまった、かつてのイースター島では、食糧不足に陥り、人々は餓えを迎えたと言われています。そして、最終的には、島民同士が戦い、共食いにも至ったということです。恐ろしい話です。

 

でも、現在、我々がおかれている地球の状況は、ある意味、森林を使い切ってしまった時のイースター島のようなものに近づいているとも言えるのです。地球は閉じたエコシステムです。そして、この地球上で、ここまで人間の人口が増え続けたことは未だかつてありません。そして、ここまで資源をしゃぶり尽くすところまで来た事もありません。人類は今、未曾有に状態に突入しているのです。だから、様々な知恵や知識を結集し、歴史から学び、みんなで協力し、問題を解決していかなければならない時なのです。

人類が今の段階で、戦争をするなどという行為は、あまりにも幼稚です。内戦をするようなものです。家族で殺し合うようなものです。なのに何故やめない?やめようとしない?

やはり、産業革命以降に大きくなってしまった(または、皆で大きくしてしまった)軍産複合体の存在が大きいのでしょう。もはや軍産というよりも、全てのレイヤーに存在する、「現在の資本主義」のエンジンとなってしまっています。あまりにも大きく、あまりにも複雑で手のつけようがない・・・そう思わず思って、あきらめてしまいそうになります。

しかし、実は違うのです。いくら軍産複合体と言っても、これは所詮、我々人間が作り上げたものなのです。人間が作り上げたシステムなのです。人間が作り上げたものは、人間が解体出来るし、作り直す事が出来きます。

でも、地球を作り直すことが出来るのか?地球が人間に与えてくれている、命やその命を繋ぐ尊い全てを人間が作り直すことが出来るのか?

今、何が一番最優先か、それは皆すでに知っています。後は、皆がその方向に一歩たった一歩、踏み出せばいいだけ。騒音が多い世の中ですが、一瞬立ち止まって、心の声に耳を傾けてあげてください。

ご精読、ありがとうございました。

 

三上雄己

必要は発明の母 – necessity is the mother of invention

今日、三陸沖を震源とした地震、ありましたね。結構、揺れましたね。僕は、虎ノ門の路上に立っていました。かなり路上でいろんなものが揺れてました。びっくりしてビルから出てくる人々もちらほら。でも地震単体としては、地震国に生まれ、地震はデフォルトと思って生きてきた人間たちにとってはそんな大したものでもなかった。ただ、地震の震源が三陸沖と知った時、ぞっとした。

そうなんだ、まだ福島第一だって終わっていない。作業のど真ん中。使用済みの燃料を取り出せないまま、ズルズルとちょっとずつ漏らしながら、時間稼ぎをしている。いや、現場で働いている方達に彼らの命をつぎ込んでもらって、時間を稼いでもらっている。そんな現実をどんどん薄めていく、現在の日本社会。いいのかな?二言目には「経済」とかいうけれど、金がいくら残っても、もしこの日本列島で、もう一度3・11と同じぐらいの事故が、福島に限らず、どこかで起こったら、日本の土からは、放射能入ってない食べ物が取れなくなる。それどころか、海や空気を伝って、世界中にバラまかられる。その結果、ただでさえ食糧難が世界で叫ばれているのに、さらに食べるものが制限されることになる。
ところで、『必要は発明の母』という言葉を久しぶりに思い出した。みなさんもよく知っている言葉だと思うけれど、どうも日本語になった時に少しニュアンスが変わっているような気がする。もとになっているのはラテン語だけれど、一番良く知られているのは英語の’necessity is the mother of invention’。それで、この意味というのが、英語では ‘difficult situations inspire ingenious solutions’『困難な状況が独創性に富んだ解決を導き出す』のように、大抵、「困難」とか「難しい状況」的なものが発明を誘発する的なニュアンスになっている。ところが、日本語の注釈の多くが、そのまま「必要に迫られると〜」というのが圧倒的に多い。たかが、「ことわざ」だけれど、これはかなりメンタリティーに差が出ると思う。「困難」というものに対するメンタリティー。元来、日本人は「困難」に直面すると、ものすごくパワーを発揮する民だと思っていたんだけど。歴史から見ても。どうも、ここ数十年で変わってしまったか?でも、そう思いたくもない。
だから!ここでもの申す!まだ日本は諦める必要もない!これからまだ素晴らしい未来はある!ただし!これから、本当に大切なことを何と宣言するかで、将来が決定してしまう。それが、「いのち」なのか?それが、目先の「経済」なのか?(経済、経済って吠えて、それを原発稼働理由にしている人は、同胞を信じていないと思う。そして目先の利益を気にしている。または自分が我慢したくない人たち。)

同胞を、この国の民を、本当に能力の高い素晴らしい人間だと思っているのなら、たとえ困難が待っているとしても、たとえ少しの間は大変だとしても、それをきっと乗り越えられると信じられるはず。それが日本の戦後の奇跡の復興の力だったのでは?その力が世界を震撼させるぐらい驚かせたのでは?だから、その力(勤勉さと協力出来る心と我慢強さ)を持ってすれば、原発をやめても絶対に他のエネルギーの発明や転換が出来るはず!それを世界は待っている!同胞の日本に今住んでいる皆さん!信じようよ、自分たちを。そして、この国の本当の未来を。その気持ちを持って生きたら絶対やれる。
以上。

三上雄己