2014年 今年もよろしくお願い致します

新年 明けまして おめでとうございます。
今年も どうぞ よろしくお願い致します。

ここ数年感じてはいたものの、この年末年始はさらに年越しの感が薄れたものとなりました・・・

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なんだろう?この年末年始が繋がってしまっている感は?以前は、’区切り’というか’仕切り直し’というか、色々な意味で、時間の一周もしくは季節の巡りというものをもっと感じていたような気がする。しかし、近年それが希薄になっている。なぜだろう?

一つには、関わっていることのひとつひとつが、年や季節などをまたいでしまって’on going’で行われているからかもしれない。ある意味、休みが休みでないのかもしれない。

産業革命以前の世界では、人間のほとんどが、ほぼ自然と同居していた。もちろん、すでに暦はあったけれど、その暦のほとんどは自然現象に合わせてつくられていたから、否応にも自然の顔色を常に伺いながらの生活だっただろう。

ところが、機械産業の創造と発展につれて、人間たちは、自然から、母なる地球から、離れていった。心も身体も精神も。そして、この200年の間に、良くも悪くも、人間社会は急激に変化を遂げた。物質的には、圧倒的に欲望を現実化・顕在化していった。しかし、自らを自然という母体から離してしまったことによって、そこから感じられるはずのエネルギーから遮断され、集団で精神をおかしくしまっている部分も感じとれるようになってきた。現在世界各地で起こっている、説明しようのない人間の行動などがそれを端的に見せてくれている。

長らく人間は、地球に生まれ、自然と共に生き、自然に帰っていくように死んで逝った。自然に左右されるのは当たり前のことだった。そしてそれに直面し、受けて止めることによって、生きるということが成り立っていた。自然の恐怖をもろに感じ、だからこそ、その恩恵も半端ない喜びで受け取っていただろう。そこでは精神を病むというような余裕すらなかったのかもしれない。

必死に生き、必死に死ぬ。ただそれだけ。おそらく、自然の動きは人間の呼吸の一部となっていたことだろう。

現在の人間は、自動車を自らの手足のようにいとも簡単に駆使し、何も考えずともコンクリートで出来た要塞のような街の中を縦横無尽に動きまわり、まるで呼吸の一部のように電車に乗って移動する。この一連の動作をするのに、取り立てて呼吸を乱すものはあまりいない。それだけ、現代文明が我々の身体の一部になってしまっている。

この文明以前の人間たちは、逆に自然との距離感が近く、自然に脅かされながらも、その優しさや大きさに常々触れていたことだろう。人間はこの地球の一部として、地球の歴史の中のある時点で生まれてきたと考えられるから、おそらく、人間は自然に抱かれることによって、「全体」もしくは「満足」や「幸福感」を感じるような気がする。だから自然に癒される感じがするのだろう。なにしろ、「母なる地球」だから。

しかし、その母から自立したのか、もしくは反抗して飛び出したのかは分からないが、しばらく母なる地球から隔絶した生活を我々人間たちは営んできた。なんとなく後ろめたさは感じながら。

現状、我々人類全体が、何か、迷走している感が強いのは、この距離感のせいかもしれない。この200年足らずの間に、自然というものから離れるだけでなく、その体を堀り、削り、むしりとって、我々人間は生きてきた。大して感謝もせずに、さも当たり前のように。そして、物質化という形で、自らの欲望を実現してきた。いや、実現した気になっていただけかもしれない。いや本当は、もっと違うものを求めていたのかもしれない。

今、人類は未曾有の状態に直面している。

人間が地球規模の視点を手に入れたことによって、地球もまたそれに呼応するように地球規模の変化を起こし始めている。

昔の人間は、自らのほぼ歩行距離範囲内において、目の前にあることとものに気を配れば良かった。その範囲内で起こる事に反応し、行動していればよかった。その範囲内で精一杯生き死ねばよかった。それが人間として全うする責任だった。

しかし、現在の人間はそうはいかない。何故なら、これだけのエネルギーを消費しながら、世界中で動き回り様々な連鎖を起こしながら生活しているということは、一人一人の責任範囲も何倍、何十倍、時には何百倍にも膨れ上がる。だから、今、地球はそんな我々人間に何十倍、何百倍の威力で語りかけてきているのかもしれない。

昔の人間たちの自然への畏れは分かりやすかったし、地球という母体の使用もかわいいものだった。ところが今の人類の自然資源の利用という名の略奪や破壊は凄まじいものになっている。これには地球も声を荒げるしかないのだろう。そもそも、人間は地球の動きを顕在化(可視化)して暦という自然スケジュール表みたいなものを作り、自然を理解し、寄り添い合わせて、うまく共生しようとした。しかし、時が経つにつれて、それは自然との共生暦ではなく、人間社会の都合に合わせたものに変わっていった。人間が自ら作った計画を、自然の流れとは全くといってもいいほど関係なく施行・実行していくためのものが今のカレンダーだ。自然からかけ離れた果てのスケジュールなのだから、季節感や区切り感を感じれなくとも仕方のないことかもしれない。

しかし、地球は、母は、だからこそ今、われわれ人間を放っておいてはくれないのだろう。地球からの声掛け、呼びかけが始まっているのかもしれない。

『おーい、人間よ、これからどこへ行く?まだまだ私の体に資源はあるし、宇宙からもエネルギーは供給されているよ。でもね、使い方を間違えると大変なことになる。しかもあんたたちは、どうも計画性があるようで無いんだ。それがどうにも心配だね。あんたたちの潜在能力を持ってすれば、いくらでも解決方法はあるし、わたしもあんたたちもいい感じで共生出来ると思うんだけどね。でも、現在のあんたたちのリーダーと言われる連中は、どうもその辺に疎いようだね。だからわたしは大声で叫び、この身体を揺すったり、波立たせたり、大きく深呼吸したり、色々やってるんだが、どうにも中々切迫感に乏しいね。さあ、これからどんどん声を大きくしていくけど、どれだけの人間がこれを聞き取り、行動し、新しい世界の構築を目指すんだろうね?そしてどれだけがそれに気付かなかったり、受け止められずに、古いままで終わってしまうんだろうね?果たして、人類がこの地球上で一番繁栄するような方向へ進化した時のように、さらなる変化と進化を遂げれられるだろうか?わたしは、あくまでも中立だよ、あんたたちの母体なのだから。行くべき方向も、その方法も、あんたたちはすで知ってるんだからね。後は精神を静かにして、心に耳を傾け、身体を自然に動かしていけばいいのさ。辿り着くよ、行くべきところに。』

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徒然なるままに書いてしまいました。

最後まで読んでくださった皆さん、間違えて読んでしまった皆さん、
どうもありがとうございます。

今年も何卒、よろしゅうお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

2014年1月3日

三上雄己

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