『土用の丑の日』に考える とうとう絶滅危惧種に指定されたニホンウナギのこと

今年2014年6月12日、IUCN(国際自然保護連合)がニホンウナギをレッドリストで絶滅危惧種指定した。ウナギが絶滅危惧種となるっていうのはどういうこと?と思う人も多いかもしれない。だって日本食の中でも代表的なウナギの蒲焼きが食べられなくなるかも、なんて考えたこともなかっただろうし。でも、ウナギという、一見非常に馴染みのある魚のことを、実は僕ら日本人のほとんどがよく知らないで食べていたらしい。その証拠に、ヨーロッパウナギは2007年にはワシントン条約に記載、2008 年にIUCNで絶滅危惧種指定されてたって知ってた?また、ウナギは養殖とか天然とか言われているけど、基本的に全部天然だっていうことや、中国産や台湾産といって売られているものも、日本産といわれてるものも、実は全部ニホンウナギの稚魚が捕らえられて、養殖されてるってこととか。僕らabovoは今回初めてGreenpeace Japanとコラボレーションして、ウナギについてのショートフィルムを制作した。それでウナギについて色々学ばさせてもらったんだけど、ウナギについてあまりに知らない自分に驚いた。そして、知らないうちに自分たち日本人が、どれだけ世界中からウナギをかき集めて食していたかに、もっと驚いた。そりゃ、いなくなっちゃうよな〜、そんなことしてたら・・・
現在、色々なもの関して言われている、資源管理や持続可能性っていうこと。これは海の生物にも言えること。最近は海洋資源っていう言い方をされてるけど、本当に海産物も有限な資源なんだよね。もう、獲れるだけ獲って、それを食べて、っていう時代ではないんだよ。ちゃんと限りある資源として、捕獲量を管理し、未来にも漁が続けていけるように考えていかないといけないんだよね。

という訳で、 ウナギのエキスパートの東大青山教授の話を聞きながら、皆にウナギについて分かりやすく知ってもらうためにGreenpaece Japan と作ったショートフィルム『ウナギが絶滅危惧種?知ってるようで知らなかったウナギの話 -Eel Deal-』是非見てみてね!(by 三上雄己)

 

『タイガからのメッセージ』6月上映会のお知らせと、クラスニヤール村・タイガ・ビキン川流域の現状

『タイガからのメッセージ』上映会、6月27日(金曜日)に東京は飯田橋、神楽サロンにて開催します。先月は直前に上映会をキャンセルせざるを得なく、皆さんにはご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫びを申し上げます。

タイガフォーラムの活動をFBでフォローしてくださっている方々はご存知かもしれませんが、現在、この映画の舞台になった極東ロシアのタイガにある「クラスニヤール村」周辺ビキン川上中流域の森約1万2,000平方kmが、去年の暮れにロシア連邦「国立公園ビキン」に指定される方向に政府と行政が舵を切ったことにより、村の人々が揺れています。

そして、この件に関しての現地での情報錯綜もあり、その余波で、少なからずわれわれタイガフォーラムも影響を受けています。

以下、現地からの最新情報などを含めた、現状報告をさせていただきます。少し長くなってしまいますが、時間ある方には是非読んでいただきたいです。そして、続きは上映会後のトークセッションで直接話題にしたいと思います。

5月の終わりから、タイガフォーラムのメンバーの野口栄一郎が、北海道新聞などの現地取材にコーディネーターとして同行し、クラスニヤール村を訪れています。取材終了後の現在も、現地に残り情報収集などの活動をしています。どのような展開なるのか、われわれタイガフォーラムも日本から見守りつつ、連絡を取り合っています。

この国立公園設立の決議などにおいて、現状、見えてきているのは、この森と共に暮らしてきた張本人たちであるデへを初めとする先住民族の不在です。どうも、中央政府はじめ地方政府、それらを取り巻くステークホルダーたちの思惑が先立って、森に住んでいる村人たちの意見があまりにも反映されていないようなのです。

僕としては、ウデへのいないタイガは考えられないし、またタイガのないウデへも考えられません。なぜなら、ここのタイガの素晴らしさ、貴重さ、美しさの根本は、様々な困難がありながらもウデへたち先住民族が、現在に至るまでこの森と共に暮らす生活を死守してきたところにあるからです。

今は一部となってしまいましたが(それでも、東京・神奈川・千葉・埼玉を合わせた面積)原生林という今ではもう地球上にほとんど残っていない状態の森があり、そこにはトラやヒグマという大型の肉食獣を頂点とした、様々な野生動物の営みも未だに存在しています。

そして、これらの自然が残っている大きな理由の一つが、本当の意味で森と生きてきたウデへたちの存在であると思うのです。

人類は、色々な形の進化を遂げてきたかもしれませんが、一方で、色々な部分を退化もさせてきたと思います。その一つが大いなる自然(地球)との断絶です。それによって、恐らく持っていただろう力を手放してきたような気がするのです。しかし、ウデへのような先住民族に出会うと、その失った力の記憶のようなものが自分の中で蘇ってくる感覚におそわれる瞬間で出会います。それが、彼らのような人々の存在の貴重さであり、素晴らしさなのではないかと思っています。また、ここの先住民族たちは、伝統と現代文明というものを両方持ち合わせて生きるということにも挑戦してもいるので、ただの博物館的なショーケースに入った「伝統文化」ではないところも魅力の一つです。だからこそ、僕らが学べる事も多いのです。このことは、『タイガからのメッセージ』の根底に流れているテーマでもあります。

ただ、そんな彼らの暮らしがもしかすると壊されてしまう可能性もはらんでいる今の状態は、非常に危うい部分を持っていると感じています・・・

今回の上映会では、こんな気持ちをシェアしながら皆さんと映画を観て、話をしたいと思っています。

どうぞ、もう見た方も、まだ見ていない方も、お誘い合わせの上、是非この機会に上映会を通して、タイガやそこに住む人々に触れてみてください!会場で、映画制作チーム(abovo & taiga forum)一同、皆さんにお会い出来ることを楽しみにおります!  

by  三上雄己

2014年 今年もよろしくお願い致します

新年 明けまして おめでとうございます。
今年も どうぞ よろしくお願い致します。

ここ数年感じてはいたものの、この年末年始はさらに年越しの感が薄れたものとなりました・・・

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なんだろう?この年末年始が繋がってしまっている感は?以前は、’区切り’というか’仕切り直し’というか、色々な意味で、時間の一周もしくは季節の巡りというものをもっと感じていたような気がする。しかし、近年それが希薄になっている。なぜだろう?

一つには、関わっていることのひとつひとつが、年や季節などをまたいでしまって’on going’で行われているからかもしれない。ある意味、休みが休みでないのかもしれない。

産業革命以前の世界では、人間のほとんどが、ほぼ自然と同居していた。もちろん、すでに暦はあったけれど、その暦のほとんどは自然現象に合わせてつくられていたから、否応にも自然の顔色を常に伺いながらの生活だっただろう。

ところが、機械産業の創造と発展につれて、人間たちは、自然から、母なる地球から、離れていった。心も身体も精神も。そして、この200年の間に、良くも悪くも、人間社会は急激に変化を遂げた。物質的には、圧倒的に欲望を現実化・顕在化していった。しかし、自らを自然という母体から離してしまったことによって、そこから感じられるはずのエネルギーから遮断され、集団で精神をおかしくしまっている部分も感じとれるようになってきた。現在世界各地で起こっている、説明しようのない人間の行動などがそれを端的に見せてくれている。

長らく人間は、地球に生まれ、自然と共に生き、自然に帰っていくように死んで逝った。自然に左右されるのは当たり前のことだった。そしてそれに直面し、受けて止めることによって、生きるということが成り立っていた。自然の恐怖をもろに感じ、だからこそ、その恩恵も半端ない喜びで受け取っていただろう。そこでは精神を病むというような余裕すらなかったのかもしれない。

必死に生き、必死に死ぬ。ただそれだけ。おそらく、自然の動きは人間の呼吸の一部となっていたことだろう。

現在の人間は、自動車を自らの手足のようにいとも簡単に駆使し、何も考えずともコンクリートで出来た要塞のような街の中を縦横無尽に動きまわり、まるで呼吸の一部のように電車に乗って移動する。この一連の動作をするのに、取り立てて呼吸を乱すものはあまりいない。それだけ、現代文明が我々の身体の一部になってしまっている。

この文明以前の人間たちは、逆に自然との距離感が近く、自然に脅かされながらも、その優しさや大きさに常々触れていたことだろう。人間はこの地球の一部として、地球の歴史の中のある時点で生まれてきたと考えられるから、おそらく、人間は自然に抱かれることによって、「全体」もしくは「満足」や「幸福感」を感じるような気がする。だから自然に癒される感じがするのだろう。なにしろ、「母なる地球」だから。

しかし、その母から自立したのか、もしくは反抗して飛び出したのかは分からないが、しばらく母なる地球から隔絶した生活を我々人間たちは営んできた。なんとなく後ろめたさは感じながら。

現状、我々人類全体が、何か、迷走している感が強いのは、この距離感のせいかもしれない。この200年足らずの間に、自然というものから離れるだけでなく、その体を堀り、削り、むしりとって、我々人間は生きてきた。大して感謝もせずに、さも当たり前のように。そして、物質化という形で、自らの欲望を実現してきた。いや、実現した気になっていただけかもしれない。いや本当は、もっと違うものを求めていたのかもしれない。

今、人類は未曾有の状態に直面している。

人間が地球規模の視点を手に入れたことによって、地球もまたそれに呼応するように地球規模の変化を起こし始めている。

昔の人間は、自らのほぼ歩行距離範囲内において、目の前にあることとものに気を配れば良かった。その範囲内で起こる事に反応し、行動していればよかった。その範囲内で精一杯生き死ねばよかった。それが人間として全うする責任だった。

しかし、現在の人間はそうはいかない。何故なら、これだけのエネルギーを消費しながら、世界中で動き回り様々な連鎖を起こしながら生活しているということは、一人一人の責任範囲も何倍、何十倍、時には何百倍にも膨れ上がる。だから、今、地球はそんな我々人間に何十倍、何百倍の威力で語りかけてきているのかもしれない。

昔の人間たちの自然への畏れは分かりやすかったし、地球という母体の使用もかわいいものだった。ところが今の人類の自然資源の利用という名の略奪や破壊は凄まじいものになっている。これには地球も声を荒げるしかないのだろう。そもそも、人間は地球の動きを顕在化(可視化)して暦という自然スケジュール表みたいなものを作り、自然を理解し、寄り添い合わせて、うまく共生しようとした。しかし、時が経つにつれて、それは自然との共生暦ではなく、人間社会の都合に合わせたものに変わっていった。人間が自ら作った計画を、自然の流れとは全くといってもいいほど関係なく施行・実行していくためのものが今のカレンダーだ。自然からかけ離れた果てのスケジュールなのだから、季節感や区切り感を感じれなくとも仕方のないことかもしれない。

しかし、地球は、母は、だからこそ今、われわれ人間を放っておいてはくれないのだろう。地球からの声掛け、呼びかけが始まっているのかもしれない。

『おーい、人間よ、これからどこへ行く?まだまだ私の体に資源はあるし、宇宙からもエネルギーは供給されているよ。でもね、使い方を間違えると大変なことになる。しかもあんたたちは、どうも計画性があるようで無いんだ。それがどうにも心配だね。あんたたちの潜在能力を持ってすれば、いくらでも解決方法はあるし、わたしもあんたたちもいい感じで共生出来ると思うんだけどね。でも、現在のあんたたちのリーダーと言われる連中は、どうもその辺に疎いようだね。だからわたしは大声で叫び、この身体を揺すったり、波立たせたり、大きく深呼吸したり、色々やってるんだが、どうにも中々切迫感に乏しいね。さあ、これからどんどん声を大きくしていくけど、どれだけの人間がこれを聞き取り、行動し、新しい世界の構築を目指すんだろうね?そしてどれだけがそれに気付かなかったり、受け止められずに、古いままで終わってしまうんだろうね?果たして、人類がこの地球上で一番繁栄するような方向へ進化した時のように、さらなる変化と進化を遂げれられるだろうか?わたしは、あくまでも中立だよ、あんたたちの母体なのだから。行くべき方向も、その方法も、あんたたちはすで知ってるんだからね。後は精神を静かにして、心に耳を傾け、身体を自然に動かしていけばいいのさ。辿り着くよ、行くべきところに。』

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徒然なるままに書いてしまいました。

最後まで読んでくださった皆さん、間違えて読んでしまった皆さん、
どうもありがとうございます。

今年も何卒、よろしゅうお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

2014年1月3日

三上雄己

Before We Pass Away… 『私たちが消えていく前に』

Jimmy Nelsonのプロジェクト、‘Before They Pass Away’ .

カッコいいすばらしいプロジェクト。ウェブサイト上に展開されている写真や映像にも関わらず、そのスケール感はコンピュータースクリーンの枠を軽々超えて見るものを圧倒する。

ただ、これを見ている僕らがどう捉えるかは、ものすごく大事なんじゃないかと思う。

このタイトル ‘Before they pass away’ (邦題:『彼らが消えていく前に』)というのを額面通り受け取ると、まるで、‘彼ら’が、‘私たち’と切り離された、何か ‘すごい’ けど ‘遠い’ 存在のように見てしまうこともあるかもしれない。憧れたり、もしくはちょっとした郷愁のような想いで見てしまうかもしれない。

でも、そうではないんだ。ここに出てくる少数先住民族と呼ばれている人々は、確実に僕らみたいな、今この地球に生きている人々全員の一部でもあるんだよ。この一見ワイルドで僕らの生活や考え方とは、とてつもなくかけ離れているように見える(特に写真や映像のプレゼンテーションがそうさせるし、その方が売れるって世の中だから)人々や風景は、確実にわれわれ一人一人の中にも息づいている。僕らは彼らの一部だし、彼らは僕らの一部なんだ。

でも、現代社会を機能させるために、この増々複雑化していく都市中心型の人間界を生き抜くために、僕らは、ここに出てくる民族の持っているような、‘大地’や‘空’や‘宇宙’などとの繋がりを押し殺して生きている。だから、この写真や映像を見て、ドキドキしたりワクワクしたり、何か自分の中に得体の知れない感情がわき上がってきたりしたとしたら、それは僕らの中に眠っていた、古代から続く、いやそれよりももっと昔の地球から生命が生まれた頃の記憶に近いものが呼び覚まされているのかもしれない。

『彼らが消えていく前に』というタイトルを見た瞬間、僕は、これは『私たちが消えていく前に』と思った。今、僕らはそういう時代に立ち会って、多分、大きな節目を迎えている。

僕らは、ちょうど地球の寿命の半分ぐらいの時点で(これは偶然なのか?それとも宿命なのか?)、今まで地球上に生まれきた全生命体全部を巻き込み、地球規模の生活を営んでいる人類。でも、あくまでも地球が生み出した、地球生命体なんだよ。地球の子供達なんだよ。それを忘れないために、その気持ちを呼び覚まさせるために、この先住民族と呼ばれる人々は、時を超えて存在してくれているような気がする。だから、彼らが消えることは、僕らが消えること。僕らの大事な部分、この地球で生きていくのに欠かせない何か、母なる何かとの繋がり、宇宙との繋がり、それが抹消されるということなんだと思う。

今、多くの人々が色々な形で、緊急事態を訴えている。サインはそこら中に出ている。それを見て、認識して、どの道を旅していくのか?それによって、「僕らが消えていく」のか、もしくはもっと続くのか?

今、僕ら全員が、選択を迫られている。

by 三上雄己

シンポジウム『自然資本経営を考える〜自然を消耗する時代から、経営する時代へ』

みなさんは、「自然資本」(=natural capital)という言葉を聞いたことはありますか?従来、われわれ人間は、「自然資源」(=natural resource)の恩恵を受けて、ここまで文明を進化させました。ところが、その実態は、「資源」という名の下に、多くはその代償を顧みず「搾取」に近い形で自然を勝手気ままに利用するだけ利用してきました。この状況に一石を投じたのが、1999年に出版された’Natural Capitalism: Creating the Next Industrial Revolution’ でした。(日本での訳本がでたのは2001年『自然資本の経済 -「成長の限界」を突破する新産業革命』)この中で著者のポール・ホーケンやエイモリー・ロビンスは、従来の経済主義の見直しと、地球環境と人間社会の関係性の理解と認知こそが、未来への持続性を高めるとの見解を表明します。この考え方は、勝手取り放題な「自然資源」ではなく、取ったままにしないで生態系の在り方と存続を大きく考慮した上で使っていこう、共生していこうとする、「自然資本」という言葉に集約されていきます。しかし、勿論新しい呼び名が出来たから全てが解決する訳ではないですし、今後もより一層、この言葉と共に人間の生き方そのものが、現状から変わっていかなければならないというのが、この本や言葉に元々込められた想いです。
さて、この本が出版されてから、15年目を迎える今年の4月に京都大学で、あるシンポジウムが開催されました。その名も『自然資本経営を考える〜自然を消耗する時代から経営する時代へ〜』。僕らabovoは、このシンポジウムのウェブサイトや記録映像を担当しました。非常に興味深い講演者の方たちのお話が、youtubeでご覧になれます。どうぞ、未来の世界をそれぞれが思い描きながら、「自然資本」について考えてみてください。もしかしかたら、何かのヒントが見つかるかもしれません。  by  三上雄己
http://l-e-d.info/

シンポジウム記録映像はこちらから:
http://www.youtube.com/user/kyotosymposium

シンポジウムイントロダクション映像:

Exhibition ‘Taiga Taiga Taiga’ @ さえずり館 丸の内

タイガのことを少し体験出来る?
abovoによるインスタレーション作品です。7/1~8/29の期間中、タイガにいる動物や植物たちの写真や映像が展示され、そして世界最大のトラ亜種、アムールトラの原寸大オブジェにも出会えます!日本から直ぐ近くに位置する、極東ロシアのジャングル、「タイガ」を体験しませんか?

場所は、東京都千代田区有楽町1-12-1 新有楽町ビル1Fにある、自然環境情報ひろば『さえずり館』です。
詳しくはこちらから。 

みなさんのお越しをお待ちしております!
by youki mikami

ローリン・ヒルのニュースから見えてくるもの

全然人ごとじゃない!気になるニュースについて。

ローリン・ヒルが税金の不払いで刑務所に禁固刑を言い渡された。
それが「家族の安全」の為という不可思議な理由だという。

と、そのニュースが非常に気になったけど、日本語ではつっこんだ情報が出て来ない。
英語のサイトでようやくしっかりした内容の情報を見つけたが、その名も「infowars.com」。
こういった情報になかなかアクセス出来ないこと自体まさに「情報戦争」だと実感した。
そこに書かれているのは、何ともおぞましい警察国家アメリカの現状だった。
いやアメリカだけでなく世界中で進行しているトレンドなのかもしれない。

これは多くの人に知って欲しいと思い日本語訳をしました。シェアしてください。

by Kiichiro Kimura

(以下、infowars.comからの翻訳)

「ローリン・ヒルに陰謀論再教育の裁判官命令」

歌手がカウンセリングを受けるよう命じられた「陰謀論」~音楽業界が真の才能の首を絞める

ポール・ジョセフ・ワトソン
Infowars.com
2013年5月8日

グラミー賞歌手ローリン・ヒルが「陰謀論を理由とするカウンセリングを受けること」という内容の裁判官命令を受けた。彼女の陰謀論とはいったい何なのか?それは、音楽業界がくだらないナンセンスを量産することを優先して本当に才能のある人々を苦しめていることに他ならない。

昨日、ヒルは税金の不払いで三ヶ月の禁固刑とその後三ヶ月の自宅監禁の判決を受けた。その理由は、家族の安全を守るためには彼女自身が社会から身を引く必要があるとのことだ。

昨年6月ヒルは自身のタンブラー上で「軍産複合体に守られたメディアに操作され、コントロールされている」と音楽業界を痛烈に批判した。

我々が過去に数えきれぬほど取り上げてきた通り、音楽業界の厳密な要求に従わない者ですら(Nicole Scherzingerが最近言ったように、)悪魔に魂を売り、自分の考えを発言する個人には罰を与える業界の中で成功を手にし、懸命にその成功を維持する傾向にあると他のアーティスト達は明らかにしてきた。

近年の数多くのパフォーマンスやスピーチで、ヒルは若者たちに警告しようと努めてきた。いかに「ポップカルチャー・カニバリズム(共食い)」とアートや音楽のよく計算された還元主義(または単純化)が全世代にダメージを与え、皆を受動的で思考しない消費者にさせているか。いかに利益の名のもとにインスピレーションや真の創造性を破壊しているかを。

音楽業界が道徳もなく空っぽでくだらない、大げさな戯言をやっているうちに、本物の才能を絞め殺すように設計されているという事実を世間に公表する、ただその為だけにヒルが受けなければならない洗脳と再教育のようなものを課す裁判官命令。それは、何らかの形で支配層の一部に逆らった場合に発揮される、常識に対して精神病のレッテルを貼るという、現在勢いを増しているトレンドの一部なのだ。

怒りに燃えた政治的意見をフェイスブックに投稿する人々がすでに誘拐され国中の精神病棟に連行された。国家批判が「精神障害」だと公式に認められるまであとどれくらいだろうか。

権力の敵とみなされた者はすでに精神障害に関するガイドライン(DSM-IV-TR Manual)によって反抗挑戦性障害(ODD)の患者と分類されている。この精神病の定義は「悲観的で挑戦的、反抗的な再発性のパターン、また、権力に対する敵意ある態度が現れ、最低6ヶ月持続する」とある。

オルタナティヴな意見を危険な精神崩壊に当てはめる企ては政治の分野に入っている。

2009年、「サイコロジー・トゥデイ」はアレックス・ジョーンズ(注:infowars.comの代表でラジオ番組のホスト、俳優、映画製作者)についての傑作な記事を掲載し、ある秘密結社(ビルダーバーグ・グループの記述が完璧なまでに正確になされている)が世界を支配していると信じる者を精神崩壊であると示唆した。

我々は最近、フロリダ州人がどれほど政府に悪態をついた隣人を当局に報告したり、警察や「精神医療専門家やケースワーカー」の家宅訪問の標的にさせたりするよう仕向けられているかをレポートした。

ローリン・ヒルのケースは我々に気付かせてくれる。支配層は「陰謀論」(今や権力に疑いを持つことへの軽蔑語になった)を口にする者を探し出して愚弄し、社会から追放するだけでなく、実際には、体制に対する全ての反対意見を精神病のいずれかの形態に区分し、速やかに合法的な強制再教育や薬理学的なロボトミーまでをも含んだ「治療」を進めるのだ。

Judge Orders Conspiracy Re-Education For Lauryn Hill

patagonia & taiga

本日、パタゴニア日本支社長の辻井隆行氏のトーク会に参加した。やはりパタゴニアは現在の社会において、会社として哲学思想的に一歩前を歩いているな、と改めて思った。そして、辻井さんを社長に抜擢した、創業者で今は会長として社員を暖かく見守っているイヴォン・シュイナードはすごい人だと思った。

スライドを見せながら会社理念を語る辻井隆行氏

パタゴニアはタイガ・フォラームの活動に協力をしてくれているパートナー企業の一つ。今日は久しぶりに再会し、意見交換が出来てとても有意義だった。今度は辻井さんやパタゴニアのスタッフとタイガに一緒に行きましょう、と盛り上がった。近い将来実現しそう!

思えばパタゴニアには極寒のタイガでの撮影中、冬のギアを提供していただき、とてもお世話になった。

 

 

 

 

冬のタイガでの撮影中のabovo 僕、三上雄己と相棒の木村輝一郎(向かって右)

だから、森や川好きのパタゴニアのスタッフとタイガを一緒に体験出来たらさらに嬉しい。森や山や川や海や空に国境なんかない。そこにあるのは、自分たちを産み出してくれ、生かしてくれている自然があるだけ。自然は、人間のちっぽけな部分を良い意味で吹き飛ばしてくれる。そして素で繋がることの気持ちよさ素晴らしさを思い出させてくれる。だから自然は素晴らしいし、地球に生まれて良かったと思える。

最近、同年代で、本当に心や身体的にも持っているものが近い人々と会って、意気投合して、未来の話が出来ている。こんな嬉しいことはない。感謝感謝!波来てる。もっと来い!みんなも乗ってこ〜い!;)     by youki mikami

東北の人と森を訪ねて

僕らabovoは、11月中旬、東北三県を駆け足で回り、木工職人など、森と共に暮らす人々を訪ね、撮影取材を行ってきました。

2009年にリリースされた、僕らのドキュメンタリー『木の来た道』を見てくれた方々はご存知と思いますが、もともと極東ロシアのタイガに向かったのも、現在の地球上に存在する森林に興味を持っていたからでした。

僕らの関わっているプロジェクトの一つ、Fairwood Partnersは、国産の木材を使用・利用することを提唱してきています。詳しくは、上記の『木の来た道』を見ていただきたいのですが、手短かに説明すると以下のような感じです。

日本は戦後、焼け野原からの復興などで、建築ブームに湧きました。とにかく、日本中ボロボロになってしまったのですから、家や施設や全てを一から建てなければなりませんでした。そのため、復興初期は日本中の山から木材が集められました。しかし、それでは到底足りません。植林をしながら、使っていきますが、需要が明らかに供給を上回る状態に陥りました。そして、海外から木材がどんどん輸入されることになります。そして、日本が様々な要因(もちろん、朝鮮戦争とベトナム戦争で、稼がせてもらいました)で戦後復興を遂げる中、日本は世界でも有数の木材輸入国になっていくのです。東南アジアやブラジルの原生林は、ただ伐るだけで、素晴らしい木を提供してくれました。しかも、人件費が日本よりも圧倒的に安いので、木もそれだけ安くなります。その状況を逆手に取ったビジネスです。ところが、ある時から、その南方からくる木材が問題になっていきます。さすがに、これではまずいという判断を国際社会がしていくのです。しかし、一度安くて良い、外国材を知ってしまった日本企業はなかなかやめられません。そこで、バッシングされやすい、南洋材(主に南の国からやってくる)から、北洋材(寒い地域の木)に輸入をシフトしていったのです。
その間、日本では、先に植林した杉やヒノキがどんどん育ち、90年代中盤には、使える木となっていきました。しかし、輸入される木材で出来上がった流通システムや仕事の仕方は、なかなか簡単に変えることは出来ません。国内には手を入れるべき森が沢山放置されています。そして未だに、日本の木材自給率は使用する量に対して、3割に満たない状態なのです。

今、環境問題を考えた時に、様々な切り口で問題は吹き出していますが、森林というものを見つめ直し、そこにある問題を提議し、みんなで捉えて解決していくことが、一つの道かもしれないと思っています。
そして今回は、東北地方の三県の木工職人や森と共に暮らしている人々を紹介するプロジェクトを始めました。短い映像ですが、それぞれの想いを伝えたいと思って制作しました。

ご覧いただければ幸いです。

三上雄己

『東北の木と暮らそう』Fairwood ‘Tohoku movie’ by Fairwood Partners from abovo on Vimeo.

今、大切なこと

文明は我々が認知しているだけでも、何千年かに渡って盛衰を繰り返してきました。その繁栄と衰退の歴史の大きな鍵を握っていたものの一つが森林=木でした。木は人間にとって、最古の燃料です。ご存知のように、人間は「火」を得たからこそ、他の動物との生存競争にも勝ち、ここまでの種の繁栄をつかんだと言われています。ですから、相当の昔から人間は木を燃やしてきたのです。

初めは、おそらく枯れ木や乾いた倒木など、手に入れやすく燃やしやすいものを使っていたことでしょう。しかし間もなく、かつて自分たちのことを雨や風や嵐から守ってくれ、狩りや魚捕りや採集などあらゆる食料を与えてくれた聖なる森へ、伐採のために入っていくことになるのです。最初は、畏敬の念を強く持って森に入っていったことでしょう。そして、木を伐るにも、いつも祈りを捧げていたことでしょう。ゆっくり伐り、ゆっくり使い、森に感謝をしていたことでしょう。

しかし、文明が進むごとに、伐採のペースは上がっていき、ついには、自分たちの回りは全て伐り尽くしてしまいます。そうして初めて、自分たちがどれだけ森に助けられ、生かされていたかを悟るのです。しかし、時すでに遅し。目の前に広がる平原には、動物も木の実もありません。そばを流れていた川はとっくに枯渇していました。。。

その後の物語は、どんなに想像力に欠けるものでも、ある程度はわかるのではないでしょうか?

敢えて少し付け加えるなら、森林を伐り尽くして崩壊した文明の一つにイースター島があると言われています。島というものは、古代においては一つの閉じた生態系(エコシステム)です。他に行き場も無く、全ては自分でまかなうという状態です。その状況で森林を使い切ってしまった、かつてのイースター島では、食糧不足に陥り、人々は餓えを迎えたと言われています。そして、最終的には、島民同士が戦い、共食いにも至ったということです。恐ろしい話です。

 

でも、現在、我々がおかれている地球の状況は、ある意味、森林を使い切ってしまった時のイースター島のようなものに近づいているとも言えるのです。地球は閉じたエコシステムです。そして、この地球上で、ここまで人間の人口が増え続けたことは未だかつてありません。そして、ここまで資源をしゃぶり尽くすところまで来た事もありません。人類は今、未曾有に状態に突入しているのです。だから、様々な知恵や知識を結集し、歴史から学び、みんなで協力し、問題を解決していかなければならない時なのです。

人類が今の段階で、戦争をするなどという行為は、あまりにも幼稚です。内戦をするようなものです。家族で殺し合うようなものです。なのに何故やめない?やめようとしない?

やはり、産業革命以降に大きくなってしまった(または、皆で大きくしてしまった)軍産複合体の存在が大きいのでしょう。もはや軍産というよりも、全てのレイヤーに存在する、「現在の資本主義」のエンジンとなってしまっています。あまりにも大きく、あまりにも複雑で手のつけようがない・・・そう思わず思って、あきらめてしまいそうになります。

しかし、実は違うのです。いくら軍産複合体と言っても、これは所詮、我々人間が作り上げたものなのです。人間が作り上げたシステムなのです。人間が作り上げたものは、人間が解体出来るし、作り直す事が出来きます。

でも、地球を作り直すことが出来るのか?地球が人間に与えてくれている、命やその命を繋ぐ尊い全てを人間が作り直すことが出来るのか?

今、何が一番最優先か、それは皆すでに知っています。後は、皆がその方向に一歩たった一歩、踏み出せばいいだけ。騒音が多い世の中ですが、一瞬立ち止まって、心の声に耳を傾けてあげてください。

ご精読、ありがとうございました。

 

三上雄己