映画「タイガからのメッセージ」撮影裏話② 2011年5月編

今回の森での撮影の大きな目的の一つは、野生のトラの撮影でした。どのようにそれが行なわれたか、それは次回6月の最終撮影レポートで詳しくお伝えします。

もう一つの目的は、本編の中で核になるであろう二人のウデへに話に聞くことでした。
一人はウデへのシャーマンの祖母を持つ、スベトラーナ・スミルノヴァさん。そして、もう一人はクラスニヤールにおいてウデへ語を話せる数少ない人である猟師のゲオンカ・イヴァン・トロフィモヴィッチさんです。

スベトラーナさんは村の猟師組合でハチミツの収穫などに関しての仕事の他、組合長を助けて働いている女性ですが、始めて会った時に不思議なオーラを放っていたのが印象的でした。後から知ったのですが、彼女のおばあさんはシャーマンだったということです。森など周りの自然と共に生きて来たウデへにシャーマニズムが深く根付いていていたのはごく自然のことでした。しかし、ロシアの開拓時代から始まりソ連時代にはシャーマニズムのほとんどは抑圧されていたようで、現代にいたる過程でほとんど形ばかりのものになってしまいました。地球上の他の多くの地域でも、同じことが起こったのは、みなさんもご存知のことかと思います。

この地球上に人類が出現してから長い間、われわれの祖先は自然と一体となって暮らしてきました。自然の恩恵を受け、それに感謝して生きてきたのです。時に自然は猛威をふるい、人間や他の動物たちの命を脅かします。しかし、それは自然と人間が一体であるという証拠。自然の中の命を頂いて生きているからには、自分たちの命も同じように失う可能性があるということなのです。持ちつ持たれつ、ギブ&テイク。そのことが、シャーマニズムの本質だったような気がします。スベトラーナさんの話は、そんな人と自然の深い関係を語っているように思いました。

そして、今回の撮影のクライマックスは、なんと言っても、ウデへの猟師の中でもベテラン中のベテラン、イヴァンさんにビキン川のほとりで、お話を聞いたことでしょうか。

ここまで科学が進行し、文明が押し進められた現代においても、ウデへの掟を出来るだけ守りながら、大きなタイガにたった一人で入り、狩りを続ける彼の話は、原発のことや現在の日本の混迷に疲れていた僕らに、一種の癒しのような作用をもたらしました。ウデへ語を操り、森や動物とのコミュニケーションの出来るイヴァンさんは、前述のスベトラーナさんが言うように、シャーマンとしての資質を持っている人でした。その彼の話は、僕らの魂をタイガに誘い、自然の本質を少し垣間見せてくれました。僕らが何故今、タイガに通って映画を撮っているのかを、もう一度深く確認出来た瞬間でした。

このようにして、今回の撮影は無事終了したのですが、来月もう一度最後の撮影でタイガに戻ります。その時のレポートをお楽しみに!トラの話も出てきますよ。乞うご期待! (つづく)

映画「タイガからのメッセージ」撮影裏話① 2011年5月編

こんにちは。三上雄己です。

abovoのドキュメンタリー最新作「タイガからのメッセージ」は、多くの方の暖かいサポートや協力によって、無事2011年暮れに完成しました。この場を借りて感謝の意を表したいと思います。様々な形でここまで応援して下さった皆さん、どうもありがとうございました!

そして現在、2012年3月中旬ごろからの上映会に向けて、方々で上映を打診中です。
また、各地で自主上映会方式もとっていきたいと思いますので、詳細情報をお待ちください。

そんな準備の間をぬって、映画に関しても取材もぼちぼち入ってきました。ラジオや雑誌で取り上げれているので、世に出るタイミングで、それも合わせて情報出していきますね。

では、映画のリリースを待っていていただく間、撮影にまつわるお話を少しアップしていきたいと思います。
今回は、2011年の春ー撮影も佳境に入ったころのことを綴っています。かなりボリュームがあるので、何回かに分けてアップしていきます。

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タイガでの撮影はいつも何かしら特別なことや不思議なことが起こるのですが、今回5度目の撮影はいつにも増して特別でした。東日本大震災と原発事故直後だったことが大きな要因です。

今回の撮影のために日本を出発するのには、色々と考えさせられました。福島原発に何が起こってもおかしくない状態で日本を離れること、それにつられて社会情勢が非常に不安定になっていること、そんな中で家族や友人たちと2-3週間とはいえ離ればなれになること。また、映画の制作中でスケジュールを守らなければならないとはいえ、気持ちの中で映画のコンセプトや伝えたいことが正直揺れていて、多くのことが頭と心の中を駆け巡っていました。

ハバロフスクに着き、日本での原発災害や放射能汚染問題からくるストレスからにわかに開放されると、少しずつ自分に森のことや村の人々のことを考える余裕が生まれてきました。そして、相棒の木村輝一郎やコーディネーターの野口栄一郎、今回の旅にも同行した写真家であり良き仲間である伊藤健次の4人で話をしていくうちに、自分の中で段々と、タイガに対する気持ちや映画へのインスピレーションが再び沸き上がってくるのを感じました。

その気持はタイガへ向かう車の中で、自然の色合いが増していくのに連れてさらに膨らみ、タイガの手前で若い芽吹きや小川沿いに咲く花たちに出会うところで頂点に達しました。

ようやく、映画の完成への道筋が再度見えて来たのです。日本という自分たちの母体である場所が歴史的な天災と人災に見舞われたにもかかわらず、タイガというロシアの森やそこに住む先住民の生活を映画にして伝えるということの意味の重要性が再度自分の中で確認されたのです。

クラスニヤール村に着くと「フクシマ」という言葉を、みんな知っていました。彼らは日本の状況を知りたがりました。地震のこと、津波のこと、原発の こと、そして日本の人々の今の状態のこと。「フクシマ」という言葉が先行しているのを聞けば分るように、世界では福島原発のことが興味の焦点となっていま す。何故なら、放射能問題は、地球全体の問題に進展する可能性があるからです。(もう、すでにそうなっていますが)

クラスニヤールにおいても同様です。彼らは原発の状態について知りたがりました。そして日本政府や東電の対応について聞くと、彼らが25年前に経験 したチェルノブイリを引き合いに出して語ってくれました。いかに、政府や企業が民のことを後回しにするかということを。僕は、「フクシマ」が起こっている最中に「世界最悪の原発事故ーチェルノブイリ」を抱えていたロシアに通って撮影していることへの奇妙な縁を感じずにはいられませんでした。そして、彼らは口をそろえて、「もし日本に住めなくなったら、みんなロシアにくれば良い」と言ってくれました。そんな嬉しく暖かい「タイガからのメッセージ」をもらったところから、タイガでの春の撮影は始まりました。(つづく)